Lost Alice 感想


こんにちは、不思議の国

 正直どうしようかなって思ったんですけど、ツイートするには長くなるかなって思ったので、ここで軽くまとめたいと思います。今回は楽曲に対する感想ではなくて、楽曲についてくるドラマCDと初回限定版についてくる絵本のストーリーに対する感想です。なんて言えばいいんだろう。シナリオ感想?
 今回とにかくシナリオに驚きました。こんなによくできたシナリオがおまけとしてついてくるってどんな世界だよ。本当にLost Aliceの不思議の国の解釈の仕方がとても私好みでした。今更ですがネタバレも容赦なくします。

 
 まず最初に、Lost Aliceは「さよなら、不思議じゃない国よ」って煽りをつけてるんですけど、見た当初は斬新だけど大丈夫かな?って思ってた節はあったんです。四ノ宮那月演じる主人公もアリスではなくチャールズ・リデルという男の子。でも読んだ後に合点がいって本当に感動しました。ちゃんと童話として成り立っていて、教訓も盛り込まれている。子供の読み聞かせに使えるんじゃなかろうか。本当に不思議の国のアリス関連が好きな人はぜひジャンル知らなくても読んでほしい。
 いやほんと長くなるので最後だけ読んでくれてもいいよ。

 Lost Aliceの主題は「大人になること」であると私は思いました。「アリス」という名称は少年性(この話には男性しか出ないから…。)を、もう少し広義に取ると子供性を指しているのかなと。物語の冒頭で言われる「君はアリス?愛されし子よ」「誰がアリス?愛されぬ子よ」「誰もがアリスで誰もがアリスじゃない」というのは、いずれ誰もが大人になることへの暗示であると取れると思いました。以下、少年性、子供性を仮にまとめてこの物語の名称を使って「Alice性」と呼ぶよ。
 Lost Aliceは主人公チャールズが「不思議の国」にいくことで「Alice性」を失い、「不思議の国」が「不思議じゃない国」であると理解し、「不思議の国」へと進むというストーリーです。だから「Lost Alice」。いや何言ってんだお前って感じだし正直私も打っててわけわかんなくなってきたけども。じゃあどうしてチャールズは「不思議の国」に行くことで「Alice性」を失うのかというと、それは不思議の国とその住人は、主人公チャールズの世界でチャールズ自身であるということだからである(チャールズ=不思議の国)。多分そうなんだろうな〜って思わせるような箇所はたくさんあるんですけど、このことが特にわかりやすく表現されてるのが3つ挙げられると思います。それは帽子屋一味、ハートのJ、そしてハートの王です。
 最初に取り上げるのが帽子屋の一味です。帽子屋の一味は不思議の国の象徴的存在であり、不思議の国が「不思議じゃない国」であることを証明する人物たちでもある。帽子屋の一味は「自由で愉快な」お茶会をしている。チャールズの価値観からすれば規則にとらわれないお茶会だが、その実は、ハートの王に「自由で愉快な」お茶会をすることを規則で強制されている。面白くないお茶会をしてしまえば王に首をはねられてしまうのだ。生きる「権利」を得るためには自由で愉快なお茶会をする「義務」を果たさなければならない。その後のP70でチャールズが「ここも僕が元いた場所と同じだ」「結局ここにもおかしなルールとか義務がたくさんあって、そこから抜け出すことができない」と言っているように、このお茶会はチャールズに「不思議の国」が「不思議じゃない国」であったことを気づかせる。どんな世界にも規則はある。その中でどう生きていくのか、その葛藤を表すのが帽子屋一味だ。帽子屋一味はこの理不尽な「義務」を受け入れている。不満を飲み込んで、王のいう通りにすればこの先どうなるかはわからないが今はなんとかなる。不満を飲んでその場をやり過ごす、というのも一つの生き方である。これをチャールズに言い換えると「兄のいう通りにすればなんとかなる」とも取れる。しかしそれでは大人にはなれない。チャールズはもう大人にならなければならないのだ。大人になるということは自分で考えて行動することである。大人になろうとする心、今の状態を打開したい心を表しているのが、「自由で愉快なお茶会をする義務」がある世界を打開しようと立ち上がる帽子屋だ。しかし他の仲間である3月ウサギと眠りネズミは立ち上がらない。「たくさんの労力を使ってまで今の状態を変えたくない。」「怒られたくない」これもチャールズの心情であろう。この葛藤を背負ったままチャールズは先に進むため、その後のトランプの兵隊が出てくるバラ園では再び迷い始めるのだ。帽子屋のお茶会のシーンは「不思議じゃない国」を象徴するのと同時に、チャールズの葛藤も表していると言える。
 次に取り上げるのはハートのJである。ハートのJはP74の裁判の場面で登場する。彼はチャールズが変化するきっかけとなる。裁判にかけられ、死がちらついてもハートのJは自分の主張を取りやめることがない。これは裁判の前にチャールズが「不思議の国は不思議じゃない」ことに気づいたことで生まれたキャラクターだと言える。どう生きるかの決意、そして王への、この現状に対する反発心であり、おそらくチャールズがAlice性を失うことが決定したことを示している。そのため、ハートの王がJと帽子屋を死刑にかけようとした時、チャールズは王に、兄に反発する。何が正しくて何が間違っているのか、自分で考え行動するのだ。
 最後に取り上げるハートの王は不思議の国の支配者であり、自分勝手な規則を不思議の国の住人に強制している人物である。ハートの王と不思議の国の住人は従わせる側と従わされる側、支配の関係であると言える。ここで主人公チャールズとその兄アルバートの関係を見ていきたい。アルバートは優秀な兄で、教育のためにチャールズに厳しく接している。冒頭P8から、アルバートはチャールズにお茶会に参加しろと説教しています。チャールズから見るとアルバートアルバートの規則を強制してくる人物であるとも言えます。ハートの王もアルバートも不思議の国の住人とチャールズからしてみれば「強制してくる人」であり、不思議の国の住人とハートの王の関係から、チャールズの世界は兄に支配されているともいえる。そのため、不思議の国とチャールズはリンクしていて、不思議の国自体をチャールズであると言える。また、実際の舞台ではアルバートとハートの王は同じ役者が演じてあり、アルバート=ハートの王という関係をより密接に表している。しかし、それだけで終わらないのが「Lost Alice」。自分のルールを強制してくるハートの王。気に入らなければすぐに首をはねてしまう恐ろしい王。ならば住人からは嫌われ、恐れられているだけかといえばそうではない。P62のバラ園に登場するハートの7は王を恐れてはいるが、尊敬しているキャラクターである。P67では「間違ってしまったのは僕たちの責任だ。僕たちが無能だからね。王は何も間違ってはいない。このバラ園が美しくあるのは、王の規則のおかげ。」と言っている。この国で唯一、王に従うことで得られるメリットを話している。それはチャールズの「兄についていけば安心」という心、そして優秀な兄に対する「尊敬」も表しているのではないだろうか。(おそらくバラ園はリデル家の象徴?チャールズはリデル家を汚してしまっているとどこかでおもっている?)。また、「Lost Alice」はチャールズの成長の物語でもある。それのためチャールズの世界の住人であるハートの王もチャールズがAlice性を失うことで変化する。傲慢で、自分勝手で恐ろしい王はAlice性を持ったチャールズ自身へと変化するのだ。「理解できない兄」「自分を否定する兄」を作り出していたのはチャールズ自身であると気づく。世界には自分以外も感情を持った人間がいると理解するのだ。
 Lost Aliceはチャールズが自分の現し身と言える不思議の国の住人たちと出会い、会話し、己を知ることで、大人になる物語であると言える。特にチャールズのAlice性を象徴しているのが帽子屋一味、ハートのJ、そしてハートの王である。帽子屋のお茶会ではどんな世界でも「権利」得るためには「義務」は果たさなければならないことを象徴しており、チャールズに「不思議の国」が「不思議じゃない国」であることを気づかせる。と同時に、今の状況を打開しようと立ち上がる帽子屋と、面倒がる3月ウサギと、怒られたくない眠りネズミはチャールズの心の葛藤を示している。その葛藤を背負ったままチャールズは先に進んだため、チャールズは途中で立ち止まることになる。ハートのJはチャールズが大人に変化するきっかけであり、チャールズが前に進むことを決めたため生まれ、「不思議の国」の革命者となった。そしてハートの王はチャールズの兄を象徴していると同時に、「自分を支配する兄」という像を作り上げていたのは自分自身であったということを気づかせる。チャールズがAlice性を失うことで、ハートの王はAlice性を持ったチャールズに変化し、最後までチャールズが大人になることを拒否する。
 どの世界に行っても、その世界の規則に従わなくてはならない。大切なのは、自分が生きると決めた世界でどう生きていくかである。チャールズは元の世界で自分が大人に変わることを選び、次の「不思議な国」、兄のアルバートのいる世界へと進むのだ。そのため、こういってもいいのではないかと思う。「こんにちは、不思議の国」

 本当はもっと色々触れたかったんだけど、収集がつかなくなるのでやめました。チェチャ猫とか白ウサギとか。メインなのに…。チェシャ猫は妥協心を暗示してるのかな…。よくある心の悪魔的な…。あと白ウサギは「不思議の国」に出てくる唯一の大人だと思います。彼だけ失っているからね。最後に医者としても出てくるし。まあ誰もがアリスであり、いつかはアリスではなくなるんですよ。それは変えられませんが、その時にどんな大人でありたいか、どう生きていくのかは選ぶことができるんじゃないかと思います。そんな教訓もあるLost Alice、皆さん是非聞いてください。そして私と語ってくれ。